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1985年10月に初台のSKスタジオで行われたコンサート「立花靖子/Nearness Of You」(第1回目)での写真、その2です。

こちらの写真は現在は駒込のサロン「ソフィア・ザール」のオーナーで、カメラマンの遠藤年彦さん撮影のもの。
(2012 March 14 up )


1985年10月にレコーデイング予定でコンサートを(株)SDC主催で行いましたが、
録音の結果がNGになり、結局翌年4月に2日間コンサート「立花靖子/Nearness Of YouU」を行いました。

1986年4月3日、4日初台のSKスタジオでのコンサート及びレコーデイングでした。

このコンサートの初日に、リハーサルがあるので早めに自宅を出るべく準備をしていたら、
「Side By Side」の家主のKさんがやって来て、「あのビルは売ったから立ち退いて欲しい」と言いにきました。
寝耳に水でびっくり仰天!混乱状態で2日間のコンサートを行いました。

写真撮影は現ソフィア・ザール、オーナーでカメラマンの遠藤年彦さんです。
(2012 March 19 up)


第1部はソロで、第2部はトリオでのライブ・レコーデイングを2日間録り続けて、
抜粋したものをレコード化しました。


トリオのメンバーは初回と同様で、ギター小畑和彦、ベース海野欣児。

モノクロですがドレスは1部は黒のサテン、2部はパープルのプリーツでした。



当時CDは出ていましたが、
まだあまり普及していない時代でしたので
LPレコードで出版されました。
その時のジャケットの写真です。

原宿のビブレ21が出来たばかりで、
ビブレの回転ドアのところを歩道橋から撮影しましたが、
人にジロジロと見られて恥ずかしかったですね!


「まな板の鯉」状態で、メイク、スタイリストが付き、
カメラマンも私が指定できなくて・・・・

ジャケットはカラーではなくモノクロになりました。
タイトル「立花靖子ファーストアルバム/ The Nearness Of You」 
メンバーは、ギター:小畑和彦、ベース:海野欣児

制作・発売元=株式会社SDC
製造元=ヴィクター音楽産業

ライナーノーツは「ボデイ・アンド・ソウル」の
関京子ママに書いて頂きました。


アルバムは1986年8月25日発売でした。

(2012 March 25 up)




LP発売記念コンサートが、
1986年9月4日、5日に
同じ(株)SDCの経営する、
初台SKスタジオで行われました。

その時の写真ですが、ワン・ポーズのみで、
立ち歌のものだけがあります。


これらも遠藤年彦さん撮影です。


それにしても、
歌っているときの顔の写真って
ホントに百面相でイヤなんです(>_<)



(2012 March 30 up)


1986年4月に発生した、西麻布のピアノ・バー「Side By Side」の地上げ騒動が、
紆余曲折いろいろな問題を経て、約1年半の時間を経て解決し、1987年11月に閉店することになりました。
ドラマになりそうな、関西からの暴力団とのやりとりなどなど・・・・・
今思えば、それもこれもが良い想い出です。

私はこの閉店をマイナスに捉えたくなかったし、
元々私が望んでスタートしたピアノ・バー経営ではなかったので、閉店イコール新たな出発でした。

なんとそれこそ今から思うとバブリーな事ではありますが、
3日間「ファイナル・パーテイー」として、来店者は無料ご招待にして華やかに幕を閉じました。


最後までレギュラー出演して頂いたユミ・マーシーさん。
彼女はこの後、音楽事務所「ラフ・アンド・レデイー」を設立して、マネージャーとしてのお付き合いになりました。

更に後年、等々力にピアノ・バー「ラフ・アンド・レデイー」をオープンして、
私は全く逆の立場になって演奏者としてお伺いいたしましたが、2003年頃突然倒れて亡くなられました。

学生バンドからの友人苫米地義久さんも
駆けつけてくれました。
元生徒のピアニスト谷川公子さんも
お別れに来て弾きました。
ミュージシャン仲間も来てくれました。
奥から鈴木雅司(ドラム)、海野欣児(ベース)、
小倉千香子(ハープ)の皆さんです。
「Side By Side」に来て下さる人達が、
六本木通りの向かいにある小さな花屋さんで、
花束を3日間買って持って来て下さったので、
「Side By Side」にお花が全部移動して、
お花屋さんはカラッポになったと
・・・・・
最後の夜には皆さんにお分けしたけれど、
それでもその花束は私の車1台分(普通乗用車)に山盛りでした。

3階のオープン・カウンターにも
入りきれない方達で溢れました。
現在のソフィア・ザールのオーナー遠藤さんなどなど・・・・

学生バンド時代からの友人、深田さんご夫妻と母立花弘子です。
深田さんはずーっとこのお店を支えて下った恩人です。

元主人が始めたピアノ・バー「Ballad」から足掛け10年、
西麻布交差点でのピアノ・バー経営は終了しました。
今の時代から振り返ると、
信じられないほど素晴らしいお客様に恵まれた幸せなお店でした。

この10年の間にこの街は大きく変化しました。

何も無い辺鄙な場所だったのに、「Side By Side」になった頃には、
すぐ脇に「ベースマン・クラブ」という名前のライブ店、
ジャズ・ベースの大御所鈴木勲さんのお店がオープンしました。
このお店は3年位の短命だったかもですが。

坂本龍一さんなどYMOのお店ができました。

そしてあの「ホブソンズ」というアイスクリーム屋が出来て、
私のお店の前まで地方ナンバーの自家用車が停まって、
アイスクリーム屋さんの行列に並んで買っていました。

私は知らなかったけれど、
「雨の西麻布」という歌が流行ったのもこの頃らしい。


やれやれ自分の目指していたミュージシャンの道を
歩くことになりました。
(2012 April 14 up )

頂いたケーキを、私が彼らバイトの子達に
「食べていいよ!」と。
食べ盛りの男の子達は大喜び!


Side By Side」の運営&演奏、レコーデイングなどの間も、
赤坂のレストラン「カナユニ」での演奏は続いていました。

1985年の私の誕生日にお客様、
そしてママ横田京子さんにお祝いをして頂いた写真です。


ママにはとても可愛がって頂きました。
カンツーネとかラテンがお好きで、私の西麻布の教室にもいらして、
ヴォーカルのレッスンを致しました。

ママのお住まいが恵比寿で近かったので、良く私の車でお送りしたり、
「ウェステイン・ホテル」でお昼ご飯をご馳走になったり・・・・


大好きだった京子ママが亡くなられて何年経っているのでしょうか・・・・

(2012 April 14 up )


1987年の大晦日に六本木全日空ANAホテルでの、
ニューイヤーズ・イヴ・カウントダウンのイベントの写真です。

エントランスの1階と2階のらせん階段の踊り場がステージになり、私は立って歌のみのお仕事でした。
とても広くて音響的にも難しくて、前の晩の夜中にサウンド・チェック&リハーサルに行きました。

バックは当時の人気ピアニスト世良譲トリオ+尾田悟(テナーサックス)でした。
アングル的に写真が撮りにくい場所だったようで2段目向かって左の写真では、
世良さんの白髪の頭とベーシストがかすかに写っています。

このイベントも宿泊客、外部からのお客様全員ご招待で、フリー・ドリンク、フリー・フード、
何ともこの頃はバブリーで豪勢!

(2012 April 21 up)


これまたレストラン・カナユニでの写真です。

平河町の北野アームスというお洒落なアパートの中にあった、
会員制のレストラン・バー「ヴァン・ローゼ」に出演していた時に、
レストラン「カナユニ」のマスター横田宏さんをお連れ下さって、
私を「カナユニ」に推薦してくださった、
「「トワ・エ・モア」などの経営をなさった戸室様とです。


この戸室様にはお嬢様がお二人いらっしゃって、
かつてはお嬢様達にジャズピアノのご指導に、
ご自宅に伺ったりも致しました。


(2012 April 28 up)


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