思い出の音楽シーン   Page3
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さて、1981年に西麻布のピアノ・バー「バラード」から開放されて、
やっと本来のミュージシャンにちょっとの間戻りましたが、
  母の名義でお借りしていた西麻布交差点脇の「誰か袖ビル」の2階、3階、4階が空室になり、
母の友人だったビルの持ち主が困っていると。

        私は元々水商売には興味がなかったけれど、
母に「家主さんが、折角あなたに後を引き継いでやればって言って下さるのに、
  あなたは断るとは、なんと度量が狭いの!」とけし掛けられて、
同じ場所で新たにピアノ・バー「サイド・バイ・サイド」をやるハメになりました。

    しかし混乱していた結婚生活からは開放されて、
新しい「サイド・バイ・サイド」がオープンするまでの半年位の間、
            そしてオープンしてからも外での仕事を週2日程度はする事にしていました。
 
        赤坂のレストラン「カナユニ」に戻り、あっちこっちの「Gセブン」、
「スコッチ・ハウス25」など
・・・・・・。

                   そして昔からのお客様で私を「カナユニ」に推薦して下さった、
                 五反田の豪邸の主T様が自社ビルの中にオープンされた
                    「トワ・エ・モア」にも出演しました。
       数年でクローズしましたが、弾き語りの先輩、乾宣夫さんも出演していらっしゃいました。
                   
(2012 January 21th up)

五反田戸室ビル「トワ・エ・モア」
↓1981年4月オープン・パーテイー
同じく「トワ・エ・モア」1982年 bassは阿部国男

ピアノ・バー「サイド・バイ・サイド」の思い出

元主人が始めたピアノ・バー「バラード」は文京区方面に移転し、
その後の店舗を改築して1982年に、2階部分はピアノ・バー、3階部分はオープン・カウンターでバー&フードにしました。
2階と3階がくっついているので「Side By Side」という名前にしました。

ワン・フロアーが正味7坪くらいの狭い場所ですから、デザイナーの方のアレンジは(設計は西麻布の「人設計事務所」)
背中のボトル棚には扉が有ったのですが、扉の開閉が出来ないので取ってしまいました。
この写真の1982年11月の時点ではボトル棚に隙間がありますが、だんだん隙間が無くなります!

(2012 January29th up)


上の写真は1987年12月
↓下の写真は同じく11月のものです。


サイド・バイ・サイドの紹介

六本木交差点から
西麻布交差点に向かって
右側を下ったところにポツンとありました。
(当時はまだ静かでした!)

ここは1階な「誰か袖」という
呉服屋さんでKさんという大家さんが
母の友人でした。

(5年後にこのKさんは
私達が借りているのに、
ビルを売り払い「地上げ騒動」になります)


この赤いネオンが綺麗でしたよ!

さあ、この細い階段を上りましょう!


2階はグランド・ピアノを取り囲んでカウンターで、
12,3人が座るといっぱいでした。


これは2階のピアノ・バーのスペースで、真中にグランド・ピアノ、
木のカウンターは四角にピアノを囲んでいました。

ピアノの上の部分にピアノを型とった黒いパイプの飾りがあって、
それがアクセントでちょとお洒落でした。



3階はオープン・カウンターの
軽いお食事とお飲み物のスペースでした。


これは3階のクイジーニ(スナック)のスペースです。
いつもこんなに混んでいたのでは決してありませんよ!!!

ここの写真は最後の
ファイナル・パーテイのものしかありませんでしたので、
有終の混雑!



左の絵は、ベーシストの友人
朝倉正展さんが、
開店祝いに書いて下さったもので、
とてもお店に合っていましたね!



そしてロゴの入ったコースターです。
お店の摺りガラスのドアにも、

マッチとか灰皿にも
このロゴがありました。


デザインは友人で
デザイナーの末松康生さんでした。

(2012 February 3th up)


西麻布のピアノ・バー「サイド・バイ・サイド」で一緒に働いて下さった仲間達です。

六本木の「ボデイ・アンド・ソウル」を辞めていた高橋チーフを、
京子ママに話をして、来て頂きました。


お料理を作る事はもちろん、
「ボデイ・アンド・ソウル」と同様に帳簿の管理などもお願いし、
お店が地上げで閉店する半年位前までお願いしました。


2階のピアノ・バーのお客様の注文のお料理などは、
3階で作って運ばなくてはならないために、
彼らバイトの学生さんが必要でしたので人件費が・・・・。

とても良い子達でした。
今でも一流企業に就職して家庭を持ち、
外国に赴任して毎年
クリスマス・カードを送ってくれる方も居ます!


私は週に1,2日「カナユニ」とかの他の演奏に出かけ、
「サイド・バイ・サイド」には他のミュージシャンに演奏をお願いしていました。
私が窒息しないためにも、お客様に飽きられないためにもと・・・・・。

最初の頃は、左の写真、榎本敬子さん(現在はケイコ・ボージェンソンさんでヨーロッパに在住)、
その後、鈴木ミヨさん、加藤アオイさん、
そして右の写真、ユミ・マーシーさんなどにお願いしていました。


こちらは当時の生徒さん、
あつこちゃんとひろこちゃんでして、
私達プロの演奏が始まる前の時間に
実習として演奏をお願いしていました。

他にも数名参加していましたが、
写真が残っていません。

このお二人とも今ではご家庭を持ち
立派なお母さまで、
あつこちゃんからは
毎年年賀状を頂いています。



(2012 Feb.8th up)

西麻布のピアノ・バー「サイド・バイ・サイド」シリーズで、お客様です。
1982年〜1987年頃です。

写真はあまり無かったり、差し支えがあったりですが、いろいろな方が応援して下さいました。
「カナユニ」のママ故横田京子さんも、「ボデイ・アンド・ソウル」のママ関京子さんも(何故かお二人共同じお名前)、
何かの折にはお客様をお連れくださいましたし、
時代が良かった事は大きいけれど、とにかく信じられないほど、一流のお客様に来て頂きました。

(2012.Feb. 18 up)

      
 故河野敏雄様と
   ジャズ・シンガーの亜樹山ロミさん。
河野さんはたくさんのミュージシャンを
せっせとお連れ下さいました。


あるときは美女達とご機嫌な河野さん!
ご自身も時々「♪You Belong To My Heart〜♪」
なんて歌ったりなさいましたが、
数年前に残念ながら亡くなられました。

来日中だった
D.エリントン・バンドのメンバーをお連れくださったマヤさん。



これは、
はっきりしませんが某銀行関係のお客様のようです。



初アルバム「The Nearness Of You」制作の
スポンサーになって下さった、
不動産会社「SDC」の社長、野村さん。


仲良し二人組犬飼さんと月岡さん。
この日はお客様をお連れになったようですね。

夜な夜な艶やかな和服姿で現れた謎の美女めいこちゃん
どこぞのクラブのママさんではありません!


店長の私より出席率が高かった深田さん。
5年間皆勤賞でした!




「Side By Side」を運営、及び演奏をしながらも、他でも演奏をしていました。
そのためのトリオでのプロフィール写真で、六本木にあったパブ「スコッチハウス25」で撮影したもの。

いやはや、みんな若く可愛いですね〜!
(2012 Feb. 18 up)


これらの写真は、ベースの朝倉正展(現マーヴィー朝倉)さんが、当時カメラマンとしても活躍をしていらしたので、
朝倉さんに撮影して頂きました。

右の写真は位置決めの仮の撮影で、当時の朝倉夫人の和子さんがドラムの場所にいて、
本庄さんはベースの格好をしてます(笑)!


西麻布のピアノ・バー「Side By Side」を始めてしばらくした頃に、
ある方に「離婚して一人で子育てしながら仕事をしているなら、今のままだと名前が弱いから、
体に刃物が入る(病気をする?刃傷サタ?)から、一時的に名前を変えた方が良い」と言われました。

そういう事って知らなければそれでいくのでしょうが、聞いてしまうと気になってしまいます。
それではっきり何時から何時まで変えたのか憶えていないのですが、
その方の言われるように、名前を立花靖子という字に変えていました。
子供が一人立ちしたら戻したほうが良いとの事でしたから、多分7,8年の間だったかと思いますが。

名前を変えて最初に遭遇した出来事は、アルバム制作のオファーでした。
「バラード」の頃からのあるお客様が不動産関係のお仕事をしていらっしゃいましたが、
1983,4年というと、そろそろバブルの始まりで、大変な好景気だったようで、
初台にレコーデイング設備を付帯したスタジオ兼ホールを造られて、そこでのライブ・レコーデイングでした。

ライブ・レコーデイングは1985年10月にに行われましたが、
この録音はボツに
なりました。ドラムスにチェックが入り結局は再度やり直しをすることになりましたが。
コンサートに来て下さったお客様からも「ドラムがうるさくて他は何も聞こえなかった」と言われてしまいました


さてこの写真はリハーサルのようですが、この頃の写真は、この後いくつかのコンサートがあったりしたので、
どれが、どの時の写真だったのか混乱???していますが・・・・・

このときのコンサートは「立花靖子/Nearness Of You」(第1回目)
メンバーは小畑和彦(guitar)、海野欣児(bass)、アントニオ石田(drums)

(2012 Feb.29 up)


ファースト・アルバム制作のライブ・レコーデイングの写真です。
(結局、このコンサートの録音はNGでしたので、この時点でアルバムにはまだなっていません。)

1985年10月12日に初台のSKスタジオで、
「立花靖子/Nearness Of You」とういうタイトルのコンサートが行われました。
写真はジャズ・ワールド誌撮影で上の写真は同誌掲載のものです。モノクロです。
(2012 March 7 up)


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